1. 煉瓦造祠堂の修復に纏わる課題

 クメールの組積造建築は元々煉瓦造が主流であった。アンコール期を通じて煉瓦造祠堂は建設され続けたが、伽藍の中でも中心的な祠堂が煉瓦で造られたのは11世紀までのことで、その後は砂岩が煉瓦に取って代わった。砂岩による組積の場合には、空積みという目地に接着剤を用いない工法が採られていたが、煉瓦造の場合には一般的に目地には接着剤が使用される。煉瓦は焼成されたものであり、それぞれのピース自体は極めて高い耐力を有している。しかしながら、各ピースが小さいことから、それらの集合体として構成された建物全体では、基礎の変位や上部構造の荷重に対して脆弱である。
 
 煉瓦造建築の修復には、木造建築とも石造建築とも異なる難しさがある。つまり、部材そのものが劣化することが基本条件である木造建築の場合、その劣化部分の代替は修復において不可避の処置となり、この操作を通して建物の保存も行われる。一方、部材そのものの耐用年数が長い石材の場合、たとえ遺構が崩壊して部材がバラバラになっても、部材そのものが粉状化したり小片に粉砕されるような状態にまで至らない限り、それらを組み上げて、建物を復原することが可能である。しかしながら煉瓦造建築の場合、各煉瓦材そのもののは劣化していないものであっても、崩落しているピースを組み上げて復原することは現実的には不可能に限りなく近い作業であるため、もし建物を修復しようとするならば、オリジナルの部材がそこに現存していながらも、新たに別の煉瓦ピースを利用するか、オリジナルの部材を別位置で利用しなければならないというジレンマに陥ってしまう。 木造建築と石造建築の修復理念がそれぞれ別々に体系化され、その両者が併存しているのに比べて、煉瓦造建築のそれは未だ十分に整備されておらず、木造・石造それぞれの修復理念を適応することもまた困難なのである。現在、アンコール地域では、プリア・コー寺院とプレ・ルプ寺院において煉瓦造建築の修復が行われているが、それぞれの修復方法は大きく異なっている。煉瓦造には煉瓦造のための修復の基本理念が求められるところで、その標準的な修復仕様の模索は今後の大きな課題である。


プラサート・ロ・モン寺院全景

壁体上面に施された排水溝

2. フランス極東学院による煉瓦造建築の既往修復

 アナスティローシスの導入により1930年代以来、本格的な修復が開始された石造建築に対して、煉瓦造建築の修復は1960年代まで行われなかった。初めて実施された本格的な修復工事は1961年から1966年にかけて行われたプラサート・クラヴァン寺院である。この修復の成功により、さらに1969年から1970年にかけてプラサート・バイ寺院、1971年にはプラサート・ロ・モン寺院などの煉瓦造建築も足早に修復工事が行われた。

 いずれの建築も、当初は屋蓋もしくは壁体の途中までが崩落し、壁体の各所には大小の亀裂が走り、基壇や壁体足下の煉瓦積み表層が剥落するといった状態にあった。これらに対する基本的な修復方法はいずれの遺構においてもほぼ共通している。構造体の安定性を確保するために、壁面表層の彫刻部分を取り外し、その内部を鉄筋コンクリート壁で裏打ちし、基壇から壁体、屋蓋にかけてそれらのコンクリート壁を繋ぐ鉄筋コンクリート帯を何層か設置する。また、壁体内部のコンクリート壁の中には配水管が挿入され、建物最上端面に設置されているコンクリート造の雨樋に流れ込んだ雨水がこの配水管を伝って建物下部から排水される仕組みが組み込まれている。プラサート・ロ・モン寺院では、建物の上端面のコンクリート造の雨樋が人目に付かないように、新材を利用して復原的に壁体の背を増しており、またプラサート・クラヴァン寺院では5基の塔の高さのバランスを保つように壁体の上端までを新設の煉瓦積により復原的に再構築している。 基壇上面に溜まる雨水を排水するための配水管はまた、基壇内部に挿入され、壁体内部に設置された配水管と連結される。新たに利用された煉瓦材には、オリジナルの煉瓦と区別するための刻印が付けられる。また各煉瓦材の下面中央に浅い窪みを設け、そこにモルタルを充填することにより外装の目地にはモルタルが現れずに上下の部材を接着する工夫がなされた。壁体の亀裂にはモルタルもしくは煉瓦が充填され、亀裂部周辺のさらなる崩壊が防がれると同時に、亀裂内での植物の成長が防がれた。これらの修復工事により、見た目にも構造的にも大胆に改新される一連の修復工法は、当時、煉瓦造建築に対する最新の修復成功例とみなされた。


プラサート・クラヴァン寺院全景

祠堂内部の壁面


煉瓦に印された刻印

プラサート・バイ寺院全景

   
       
 

 

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