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アンコール・トム王宮前広場にあるプラサート・スープラとそのテラス

王宮前広場は、東南アジアには極めて稀な荘厳な広場です。広場の東端には12基のプラサート・スープラ塔がありますが、JSAでは、崩壊の激しいこれらの塔の保存修復に取り組んでいます。既にプラサート・スープラN2塔の前室の解体・再構築工事は完了し、現在N1塔全体の解体再構築工事が進行中です。

■プラサート・スープラN1塔修復事業

プラサート・スープラ塔保存修復での目的の一つに、ラテライト造塔状構築物保存修復方法の提示があります。これまで、基壇部や外周壁での保存修復実施例はあるものの、ラテライトが主構造材料として使用さ れている塔状構築物での保存修復事例は極めて少ないのが実情でした。そのため、ラテライトブロックの組積方法研究をはじめ、部材修理方法、材料など各面で新たに研究・開発を必要としていた分野であったと 思われます。また、塔の傾斜要因である基礎・基壇部分についても、本格的な調査・解析を実施して、今後の保存修復にとって貴重な研究資料を獲得し、そして今回の保存修復においてもその研究成果を実施に移行することになります。

さらに、今回の保存修復工事は、テラスと塔との関係、N1塔北側に位置する北池との関連など課題を多く含んでいる事業でもあります。これら塔周辺環境をも含めた総合的な調査研究が、N1塔保存修復では必要とされています。今回実施されたこれら全ての調査研究結果や経験 が、今後の11の塔とテラス全体の整備を考慮する上で基本的な資料、参考となることを期待しています。

■全解体・再構築の意義

文化遺産の保存のためには、なるべく現状のまま保存すべきであるこ とは言うまでもありません。N1塔を解体しないで安全に保存するためには、大規模な、コンクリートや鉄骨によるサポート、もしくはジャッキアップにより傾斜を戻した上で、広範囲の土壌改良と補強を行う必要 があります。高額の費用、広場の景観保存、エコロジカルな環境保護、さらにカンボジアへの技術移転の効果などを考えてこれらの方法は断念しました。

また、北群中央部寄りのN3塔は、1960年代に基壇基礎より上部を解体した後、セメントモルタル等で補強の上、再構築されました。しかしおそらく、工事終了後すぐに北池側に傾斜が始まったものと考えられま す。この事例を始め、多くのアンコール遺跡の崩壊の原因が基壇基礎の構造にあると想定されることを考え、またいくつかの修復方法を慎重に検討した結果、アンコールでは初めての基壇基礎までも含めて全解体した上で、再構築をする修復を行うことにしました。

■崩壊および劣化の状況

調査によると、N1塔は塔本体が北西へ傾き、塔上部から石材が落下し、北沐浴池の中に散在していることが解りました。基壇部は池の方へ微動し、護岸へと繋がる北側部分の石目地は開き、基礎の北西隅と南東隅を比較すると、基礎部で35cm、初層再下段壁石で50cmの沈下が認められました。 そして祠堂の身舎部と前室との間に亀裂が生じ、屋蓋部が倒壊して石材が塔内部へ崩落し、またそれにより壁体が押し出されて、塔上部は外方向へ傾いていました。さらに南側の壁体も崩落していました。N1塔の修復は、塔全体の崩壊および劣化の状 況を調査・分析することから始まりました。

■解体による変状の謎解き

塔の変状:プラサート・スープラの12基の塔のうち、崩壊している最南端(S6塔)を除く11塔を調べると、特に池周辺の塔に変状の特徴がみられました。まず、塔の初層開口部の下部の水平距離が上部より長い。また、基壇のラテライトブロックに水平の目地開きがみられました。

基壇・基礎の構造:右下の写真は解体が進んで、北側基壇の南北方向 にトレンチ※2を入れ、西側から見たものです。写真の右半分下部は人工盛土の版築層であり、その上にラテライトブロックが積まれています。基壇のラテライトブロックは、下から8段積まれています。白いブロックの輪郭線は、推定された創建時のラテライトブロックの位置であり、変位した現状のブロックの数字はやや大きく示してあります。また、基壇の構造を明らかにするために、この他に北沐浴池の発掘も行っています(左下の写真)。
※2【トレンチ】 遺跡の広い地域を発掘する際、内部の様子を確かめる為にうがつ細長い試掘溝。

変状機構:右下の写真の構造断面で注目すべき点は、二点です。一 つは(6)ブロックですが、現状の(6)ブロックを右側にたどれば、階段状に高い位置にあることが分かります。二つ目は、版築層の変状で す。版築層は、盛土を締め固めつつ盛り上げていくので、本来水平層ですが、右側上部の版築層は左側に傾斜していることが分かりま す。ラテライトブロックの沈下および外方への水平移動は、明らかに盛土との間を滑り層としてラテライトブロックが滑り落ちた結果 によるものです。

結論として、N1塔の基壇ブロックの変状は、トレンチの断面観察 による限り、連続的であり、変状がどこかに集中して発生している わけではないことが分かりました。今回のN1塔解体がなければ、タ ガが外れて緩みだしたような変状機構は解明されなかったでしょう。

■ラテライトブロックの修復

文化遺産の修復は、劣化したオリジナルブロックを可能な限り再利用することが主眼となります。しかし、再構築時には新たな安定性が求められ、それには修復によって十分な強度と耐久性を与えなければなりません。破壊実験とモルタル試験などを通じて、損傷したラテライトブロックについて、切断部の接着・固定、破断部の接合、欠損部の補充、新材の充填、新材による代替などの、適切な対処法をマニュアルとして確立してきました。また、構造的な補強を必要とするラテライトブロックの場合には、ステンレス鋼材のプレートを使用することもあります。ステンレスバーを接合したり、ステンレスボルトを固定するためには、ラテライトの粉末を混ぜたポリマーセメントモルタルを使用することもあります。

実際、2300個以上のラテライトブロックがN1塔 の本体から取り外され、およそ600個のブロックについては補修ないし新材への交換の必要がありますが、2003年10月には、ラテライトの修復作業は60%を終えることが出来ました。

※3【ラテライト】熱帯や亜熱帯地域に見られる紅色土壌あるいは 岩石。風化による岩石の溶脱作用により、アルミニウムおよび鉄 成分が濃集して生成。それを切り出して建築物の資材の形に削り 固まらせた物を、「ラテライトブロック」と呼ぶ。

■砂岩の修復

プラサート・スープラN1塔の主材料はラテライトですが、局所的に砂岩も使用されています。損傷を受けた砂岩部材の修復方法とその材料はバイヨンの北経蔵の修復プロジェクトで習得し、マニュアル化された多くの方策を活用しています。

●プラサート・スープラとそのテラスは 王宮前広場と一体として考えていきます

12世紀頃、少しずつその容貌を顕在化させてきた都城アン コール・トムの王宮前広場は広範囲に点在する空間的魅力から、現在も来訪者を楽しませる場所となっていますが、そのスケール、位置、周辺の環境、そして観光動線の拠点と合わせて積極的に考えるべきサイトです。JSAでは王宮前広場の歴史的、立地的重要性を考え、アンコール・トム王宮前広場とその東縁を画するプラサート・スープラの保存修復と文化ツーリズムのための整備計画の立案を現在考えています。そのための準備段階の作業の一つとして、広場という特性を踏まえ、修復方法だけでなく、その歴史的意味や利活用方法までも含めた保全策に関して 討論への参加者を募り広く協議してきました。

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