JSA / JASA

Japanese Government Team for Safeguarding Angkor
JAPAN-APSARA Safeguarding Angkor

日本国政府アンコール遺跡救済チーム

調査研究活動

各分野の調査研究活動
建築史学

歴史的な文化遺産の修復を、どこまで、どのような方法で行うかは、現在でも議論の多い問題です。現存するアンコール遺跡の多くは消失している部分や建造手法などに多くの謎があり、修復活動を行うにあたって、古代の人々の建物設計に対する考え方を理解する必要があります。

我々はまず、測量調査やインベントリー調査などにより建物の状況を正確に記録し、その変化の過程を追跡します。そして、劣化の原因や傾向を学び取りますが、同時に建物がどのように設計されたのか、寸法計画や建築技法、構法などの構造的な特質や材料などをも分析します。

近年の大きな成果の一つは、古代の人々が建物を施工するときに使う「ものさし」の研究が大きく前進したことです。こうした建築学的調査は修復対象の遺跡だけでなく、同年代に建てられた建造物、また他年代に建てられた建造物の調査も同時に行い、慎重に比較します。

一連の建築学的調査研究は、未だ謎の多いクメールの建築史の解読に貢献するだけでなく、修復活動を行うにあたって、復原像を考察する際などの大きな手がかりとなるのです。

建築史学班では、修復事業を進めているバイヨン寺院だけでなく、カンボジア国内のクメール遺跡を広く研究の対象としています。第三フェーズではベン・メアレア遺跡群とコー・ケー遺跡群、チャウ・スレイ・ビボール寺院における集約的な研究を行いました。また、第四フェーズ以降、プレア・ヴィヘア寺院やコンポン・スヴァイのプレア・カーン遺跡群においても研究を進めています。こうした幅広い対象の研究にもとづき、古代クメール帝国の全貌を明らかにし、その中心に位置するバイヨン寺院の性格を導き出すことを目的として活動を進めています。

建築構造学

アンコール遺跡は地形的要因や環境学的要因、自然科学的要因から遺構の劣化が進んでいます。その中でも、多くの要因に関連して遺構の崩壊と劣化を引き起こす建築構造上の問題は、保存修復計画策定および遺跡保護において重要な課題となっています。

建築構造学調査では、遺構の傾斜測定といった遺構全体の崩落に関わる基礎的調査や作成された三次元モデルから固有値を解析することで、遺構の変位状況とヤング係数を算出し、遺構の構造的評価などを行っています。また、上記のような構造体の変位状況等に併せて、部材の損傷や亀裂等に関する現状記録から、対策工設置のシミュレーション実験などを行い、適切な修復工事方法の提案につなげています。

地盤・地質・環境学

地盤・地質・環境学班は、現状の遺跡と、それらを補修する際の地盤、地質、環境学的な問題点の抽出と、地域に関連する自然科学的な実態把握を基礎として、最適な補修修復方法への提案・実施を目指して調査研究を行ってきました。

修復工事後の建造物の安定を保つためには、現場での入念な地盤基礎の土質の確認や室内試験・実験を重ねて、往古の手法を十分に理解した上で、必要に応じて改良・強化を施す必要が有ります。

これまでに遺跡や地盤の挙動観測を継続的に実施しており、また1994年には、アンコール地域における最初の基岩盤にまで達する地質ボーリング調査を行っています。さらに、温度・湿度・風速・風向・雨量などの環境変化の観測も継続しています。

そしてアンコール地域における環境問題の最大の要因は、やはり水によるものと考えられます。それは遺跡周辺の池や壕の水位の変化によって、地盤や構造物の変位が発生するからです。水は農業用の灌漑のみならず、地域や観光施設の上水用、さらにはクメールの理念や景観などの観点からも重要な要素と言えます。したがって水環境についても、シェムリアップ川からトンレサップ湖にいたる広域な地域を含めて調査を行っています。

また近年ではアンコール遺跡の劣化要因の一因となりうる大気環境調査も行っています。

都市計画学

都市計画学調査では現在のメコンデルタ一帯からカンボジア内陸を中心に紀元後~15世紀頃までに繁栄したクメール王朝の都城史を多角的視点より分析し、ひいてはクメール王朝が最も繁栄した都城アンコール・トムの構成原理を解明することを目的としています。

9世紀より約600年もの間に6度に渡り王都の造営を繰り返し、うち450年間は同一区域が王宮として使われ続けたと考えられる王都ヤショダラプラ(現在のアンコール・トムを中心とした地域)の配置計画に関する従来の研究は断片的・概念的なものであり、計画の決定方法にまで踏み込むものではありませんでした。

我々はヤショダラプラの配置計画について考察するために、都城アンコール・トムの重要な都市施設である王宮前広場の構成原理、都城アンコール・トムの計画手順、アンコール地域の造営手順をGPS測量調査による正確な位置情報をもとに分析しています。また、同時に現在修復中のプラサート・スープラとそのテラス、アンコール・トム王宮前広場の整備方針を見出すために、歴史的調査や現代における利活用方法等を含め、幅広い視点からその将来像を検討しています。

また、アンコール・トム都城の現在も研究対象として、アンコール・トムの北壁北側に沿って広がるアンコール・クラウ村における民俗学的データの収集を行いました。これはJSA/JASAの現場作業員の多くがアンコール・クラウ村の村民であることから、彼らとの有形無形の協力関係が今後のアンコール遺跡の保全活動にとっても有意義であると考えられたこともあります。そして、村落の基層文化や政治-社会組織の研究を行うことで、「カンボジアの人々にとって、アンコールの遺跡とはどのような意義をもっているのか」を探ることによって、修復保存活動に彼らの視点や精神的・社会的意義を寄与することを目的としています。

修復設計・修復技術

JSAでは、各専門分野の調査研究の成果をもとに修復事業を進めるために、修復設計担当部門を設けています。修復設計班は、各分野の調査研究の成果を基に、諸条件を整えた上で修復の実施計画を立案し、また方針決定・作業実施のプロセスへの移行の調整業務などを担当しています。

そして保存修復の対象は石造建造物であるため、石材工学班、すなわち修復技術担当部門との連携が必要であることは言うまでもありません。

石材工学班では、建造物の解体の過程を通じて、創建時の石材の採石、加工技術、石組み、据付けの技法などを考察して、オリジナルな石材と同一の品質の素材を調達するため、また古来の伝統的な構法を可能な限り尊重して再現するための調査研究を行い、その各々に成果をあげてきました。

また日々の修復作業においては、現場の監理にあたりながら、カンボジア人の専門家や技能工に対する技術指導、技術移転に努め、カンボジア人の手によって修復作業が進められていく上での手引きとなる、石材保存修復工事の標準仕様も策定しています。

考古学

アンコールの壮大な遺跡群は、どのようにして、いつ頃、またどのくらいの時間をかけて造られたのでしょうか。
これまで、歴史学者、碑文学者が、こうした点を明らかにしようと、多大な努力を積み重ねてきました。そして彼等のそうした努力のおかげで、アンコールの歴史の大きな枠組みが、明らかになってきました。しかし遺跡に関する細部にわたる疑問を解くためには、建築学や考古学などの実証的な研究手法が必要です。

私たちは、考古学を自然、社会、人文科学にまたがる広範な総合科学としてとらえており、現代の考古学はこの点で大きな貢献ができると考えています。また、考古学調査のひとつの具体的な研究目的が、過去の復原という点にあり、このため元々は遺跡保存の技術と方法を開発してきた考古学が、長い間蓄積してきた知識と技術をアンコールの遺跡保存に役立てることは、大変有意義なことです。
この保存と修復のための当時の知識と技術の提供を第一義的な目的にして、アンコール期に関する細かな疑問点の解明に貢献したいと考えています。

第1、第2フェーズでは、アンコール・トム内の王宮前広場において発掘調査を実施してきましたが、第3フェーズ、第4フェーズではバイヨン寺院を研究対象として考古学的発掘調査を継続しました。第3フェーズでは南経蔵の修復工事における解体時に基壇内部の調査を行い、鎮壇具や基壇内部の入れ子状構造体を発見し精査を行いました。また、外回廊の南側において調査を実施し、排水溝遺構や掘り込み地業を確認し、創建時の構造の一端を明らかにしました。第4フェーズではバイヨン寺院の東側において調査を進め、寺院正面の景観整備と連携して研究を実施しました。

岩石学

アンコール遺跡は、砂岩、ラテライト、煉瓦を主材料として建造されています。岩石学班は、アンコール遺跡を構成するそれらの石材を対象に、その供給地に関する調査、石材の劣化要因の解明と石材劣化度の非破壊評価に関する調査を行っています。

アンコール遺跡で使用されている砂岩は分析結果より灰色~黄褐色砂岩、赤色砂岩、緑褐色硬砂岩の3種類に分類されることが判明しましたが、このうち、灰色~黄褐色砂岩の石切場の幾つかはアンコール遺跡の北東30~40kmに位置するクレン山の南東山麓に点在することが確認されました。また、砂岩の磁力を示す帯磁率の測定により、アンコール・ワット期からバイヨン期にかけて建造された遺構の建造編年ならびに増築過程を明らかにすることに成功しました。

ラテライトについても孔隙サイズと帯磁率に基づく遺跡のグループ化が、砒素、アンチモン、ストロンチウム、バナジウムの含有量といった化学分析による結果によって裏付けられました。煉瓦は、特に9世紀から10世紀にかけて建てられた建造物に使用されていますが、そのサイズは時代とともに大きくなる傾向を示しています。煉瓦の場合には、砂岩やラテライトと異なり、その帯磁率や化学組成に基づいて遺跡をグループ化することはできませんでした。

砂岩の劣化調査では、コウモリの排泄物が大きな影響を及ぼしていることが窺われています。特に石材劣化において重要な役割を果たす水の動きを把握するために、石材内部の水分の分布とその季節変化・日変化を2種類の水分計(誘電率タイプと赤外線タイプ)を用いた調査を行っています。劣化評価には、超音波伝播速度測定装置、赤外線カメラ、反発強度計を用いて劣化・剥離部の非破壊法による分布把握が試みられています。

※1【帯磁率(X)】与えた磁場の強さ(H)に対する誘導磁化の強さ(M)の比(x=M/H)。岩石の場合、単純に言えば、岩石の磁石に対する引力の大きさ。アンコール遺跡の砂岩帯磁率は同一建物においても平均帯磁率が異なることがあり、遺跡の建造過程や増・改築過程をも明らかにすることができるとともに、遺跡間における建造時期の対比や建造年代の推定を行うことも可能になり、非破壊である帯磁率測定はアンコール遺跡の研究において多大な成果をもたらした。

保存科学

カンボジアでは年間を通じた高温多湿の過酷な環境の中で、遺跡を構成する石材の劣化が確実に進行しています。特に、石材の表層部分の劣化は著しく、貴重な浅浮き彫りが失われる危機状況にさらされています。

石材の主要な劣化要因は、植物や微生物の着生による劣化、塩類析出による劣化、応力集中による劣化、石材の不均質性にともなる劣化などに大別されます。こうした劣化を助長する共通した最大の原因は水の析出にあると考えられます。

こうした悪条件のもと、水の挙動や分布状況を解明し、それぞれの劣化原因と水の関係を突き止め、劣化を抑制・回避するための手がかりを究明することを目的としています。多角的な着生微生物の研究をふまえた微生物の除去方法と岩石学的な研究と併せて、保存修復科学的研究は三位一体の体制で取り組んでいます。

基本的な石材劣化への処置は「石材表面の着生物の除去」「劣化した石材の強化」「強化後の撥水剤による処置」の三項目となります。これに加えて、応力集中による破損箇所への保存対策として石材の接着・擬石補填による構造的な強化と目地の重点強化などの処置方法を検討しています。

美術史学

城壁と5つの城門に護られた都城アンコール・トムの中央に、バイヨンと呼ばれる広大な伽藍を誇る寺院が中心寺院としてそびえ立っています。

バイヨンに関しては、まず中央塔および周辺の諸塔における巨大な尊顔(現存173面、復原総数は181面)の解明を第一の目的として調査を行ってきました。これらの四面塔に対する美術史班の調査は、バイヨンを彩る彫刻として細部の彫刻的な分類などの基礎データを集積し、彫刻的作風や宗教的背景など、従来の説にとらわれない自由な発想と、クメール美術における幅広い比較研究など、総合的な立場から考察に取り組んできました。

その後、主な調査対象となる彫刻作品は、ペディメント(破風)、リンテル(まぐさ石)、付柱、外壁の浮き彫りなどへと移っています。

一方、内回廊の浅浮き彫りは、風化や侵食の被害を受け、場所によっては浅浮き彫りの消失が危惧されるなど、その保存対策が急務になっています。そこで保存修復方法を模索する一方、現状を正確に記録保存する目的のもとに、浅浮き彫りを線画に描き起こす作業を行い、印刷刊行しました。

微生物学

アンコール遺跡は石材によって構築される巨大な建造物です。膨大な数の石材の表面は一見して無味乾燥に見えますが、肉眼で確認できないほど微小な生き物にとっては、表面の凹凸は巨大な居住空間であり、そこに生息する微生物はその周囲に様々な影響を与えています。

風化のプロセスで最も重要な変化の一つとされる酸性化は、最近・菌類・地衣類などの微小な生き物が代謝の過程で細胞外へ放出する有機酸や硫酸などによって促進されます。また、風化によって岩石に形成された小孔に微生物が侵入し増殖すると、その閉ざされた空間でさらに独自の環境が形成され、劣化が加速します。バイヨン寺院では、雨水の浸出や、湿度、日射、コウモリの糞由来の成分の供給など、微生物の増殖に比較的適した環境にあるエリアが少なくありません。石材表面のバイオフィルムの種類を特定し、石材劣化への影響を解明し、最終的には悪影響をもたらす微生物の生育抑制の方策を提示することが研究の目的となります。