関連事業協力
カンボジア地方拠点大型寺院都市の調査研究
2007年より名城大学と早稲田大学の共同チームが、2017年より早稲田大学が、カンボジア地方拠点大型寺院都市の調査を実施、今までにコー・ケー遺跡群、ベン・メアレア遺跡群やチャウ・スレイ・ヴィボール寺院、プレア・ヴィヘア寺院、コンポン・スヴァイのプレア・カーン寺院の調査を主に行ってきました。その概要をご紹介します。
コー・ケー遺跡群
■ 概要
アンコールから北東へ約90kmに位置するコー・ケー遺跡群は、碑文研究により10世紀前半にジャヤヴァルマン4世(921/928-941)がアンコールから一時的に遷都した王都チョック・ガルギャーに比定されており、約20年という短期間ではあるものの、王都が遷されたことが確実な、クメール史上稀なサイトであります。首都の短期的な遷都の例として、古代エジプト新王国のテル・エル・アマルナがあります。日本古代で繰り返された遷都とは性格が異なるものと考えられますが、それにしても謎に満ちた首都移転であり、遺跡の佇まいがより一層興味をかきたててくるように感じられます。南北に長い矩形の人造池「ラハール」(パーリ語で「聖なる池」の意味)を中心として、数十の寺院が周囲に配置されており、5層の階段ピラミッドを呈する寺院「プラン」を擁するプラサート・トムが「国家寺院」としてその中核を担っています。今日では遺跡群一帯は高木に覆われていますが、当時の姿を想像すると、高さ35m以上に達していたプラサート・プランは都市計画の基点であり、またランドマーク的存在であったと考えられ、都市全域からこの寺院が見えたと考えられています。
また、この地で生まれた「コー・ケー様式」は他の時代と比べ大胆な美術様式であり、クメール芸術の中でも傑作と言われるものが多く存在します。
■ コー・ケー遺跡群の特徴
特徴の一つとして、宗教上の特徴であるリンガを多用していることが挙げられ、プラサート・トムの最奥部に造営されたピラミッド型寺院「プラン」の頂に安置されたリンガを頂点にしてシヴァ信仰を中心に、寺院や土木的な施設が配置計画されたと考えられています。プラサート・トムに加えもう一つの重要な宗教的な象徴となる施設は、多数の寺院の中心に位置しているラハールであり、周辺の地域的特徴から、この地が集水に適していたこともありますが、ラハールがあたかも各寺院の聖性を集約する宗教的施設であったかのように推察されます。
コー・ケー遺跡群全景
■ 造営尺度の想定と設計技術の復原考察
コー・ケー遺跡群のプラサート・トム、プラン遺構およびプラサート・プラムを対象とした精密な測量調査を行いました。既往研究や碑文記録と実測記録から、当時の造営尺度である1ハスタの実長値は412mm前後であり、クメール王国の度制単位として長期にわたって守られたものであるとともに、広範に使われた造営尺度と認めることができました。
プラン遺構では東西全幅420ハスタ、南北全幅360ハスタという伽藍の輪郭を基準として、一辺160ハスタを基準とする基本計画がピラミッド平面に推測されました。ピラミッド平面は160ハスタを基準として南辺・西辺をそのままとし、北辺と東辺をそれぞれ4ハスタずつ切り縮める操作が認められ、結果的に遺構の中軸線が移動するといった計画手順があったことが考えられます。この基本計画の一部を切り取って規模を小さくすることで、間接的に中軸線を変えるという技法は、12世紀前半のトマノン寺院と共通している設計技法であると推定されます。また、立面計画に関してもピラミッド各層が基座1ハスタ、初層12ハスタ、第二、三層13.5ハスタ、第四、五層13ハスタ、下部基壇12ハスタ、全高78ハスタの立面計画が推定されました。これは基本計画である全高を80ハスタとし、平面一辺156ハスタを1/2したものであると考えられます。その上で、基座1ハスタを除いて13ハスタ・13.5ハスタを各層に割り当て、プロポーションの観点から高さを調整し、基本計画から減じた80-78=2ハスタを初層から差し引く、といった一連の計画が想定され、ピラミッドの全高と平面規模計画の連関性を窺うことができました。
プラサート・トムの水濠の外を巡る周壁の輪郭は、東西全幅396ハスタ、南北全幅367ハスタ、水濠の内側にある第二の周壁は東西全幅161ハスタ、南北全幅135ハスタ、最も内側の砂岩周壁が東西全幅109ハスタ、南北全幅88ハスタと換算されました。いずれの周壁も、明確な計画意図があらわれませんでしたが、最も内側の周壁と第二周壁の間に位置する、中央部を囲むように配置された砂岩の矩形建物は、東西全幅120ハスタ、南北全幅100ハスタという矩形の輪郭を描くことができ、前身遺構として小規模な寺院であった時代に存在していた周壁の基準線の可能性を窺わせるものです。この前身遺構の基準線を基に、現在の遺構の計画寸法を想定してみると、最外周壁の輪郭は、東西全幅が基本計画400ハスタを基準として4ハスタを差し引いた396ハスタ、南北全幅が基本計画360ハスタに1ヴィヤマ(4ハスタ)を加えた364ハスタであった計画性が想定されました。プラサート・プラムにおいて想定された伽藍計画法では、伽藍の北辺から16ハスタの位置を基壇北辺とし、さらに伽藍の南側で1ハスタの拡張をしており、プラサート・トム前身伽藍と拡張期の計画技法とで異なる技法を合わせ持つような特徴が見て取れました。
■ プラサート・トムの建築的特徴
プラサート・トムは、3重の周壁を持つ求心的な配置と東から西へ宮殿、寺院、「プラン」を同一直線状に並べる縦深的な配置とを併存させています。伽藍を構成する建築群には煉瓦造あるいはラテライト造の疑似階層をもつ塔状の祠堂や、砂岩造あるいはラテライト造で木造切妻屋根を架構するゴープラ、ラテライト造で木造切妻を架構する細長い形状の建物等、多様な形式が混在しており、複雑な伽藍が一度に造営されたのではなく、幾度かの建造過程を経ていることが推測されています。
■ プラサート・トムの主軸線上に位置する祠堂
プラサート・トムの主軸線を正面側に延ばすと、約700m離れた地点に、リンガを神座とする台座が安置された祠堂があります。この台座は各部材が散らばっており、破損していますが、別の所から運ばれたものではなく、最初からここにあったものであると考えられています。この台座は、遺跡群内でも比較的規模が大きく、造形も他より複雑な構成をしていることから、他より格上の存在であったことが考えれます。
その一方でプラサート・トムの背面側に主軸線を延ばすと、東辺にゴープラを構え、周壁内に主祠堂と経蔵を持った寺院があります。この遺構はシンプルなものであり、全体としてみて小規模な寺院であり、あまり重要な施設ではなかったと考えられます。
■ ラハール
貯水池ラハールは、プラサート・トムの南東に位置し、主要な複合寺院を周囲に巡らせています。ラハールの正確な規模と形状はこれまでに明らかにされることがなかったため、これを確認するために周回する土手の踏査と一部で測量を行いました。ラハールは反時計回りに振れた長方形の平面形状であり、人工的な土手の存在は今まで疑われていましたが、踏査により一部では土手の存在が認められました。土手上にはラテライト列があることから、当初は全周にラテライト造の護岸が築かれていたことが推測されました。また、東辺の長さは約1235m、北辺と南辺の長さは約596mであったことから、約2:1の長方形であったことが分かりました。クメール古代都市の多くにはラハール同様に巨大な貯水池が築かれており、その特徴として中心に小島を作り、そこに寺院を配置する構造があるが、調査の結果ラハールには中心地点の遺構が存在しないことが判明しました。
ベン・メアレア遺跡群
■ 概要
ベン・メアレア遺跡群はアンコールから東方約40kmに位置する複合寺院と、複数の衛星寺院、および池、土手等の痕跡から構成される遺跡群であり、この遺跡群には碑文が残されておらず、この巨大な施設を建立した年代や人物、祀られている神格について語る資料は一切残されていません。
建造年代として、装飾彫刻の美術様式や建築様式より、アンコール・ワットの建立直後、バイヨンの建設前とされ、一般に「アンコールワット様式(12世紀前半)」の建築物の一つと見なされています。
この遺跡群の最大の特徴として、アンコールから東へと延びる古道沿いの北と東とに分岐する点に位置していることです。そのためこの地は東西方向の行路に加え、南北方向の交流拠点であったことも推測されています。
ベン・メアレア遺跡群 周辺配置図
ベン・メアレア遺跡群 中央伽藍
■ 設計技術の復原考察
コー・ケー遺跡群における設計技術の研究結果から、当時の度制単位であり造営尺度と考えられたハスタの実長値がおよそ412mmであったことを手掛かりに、現地での実測結果に基づいた寸法値から、伽藍の設計技術の復原考察を行いました。結果的に、外回廊東西全幅440ハスタ、南北全幅368ハスタ、第二回廊東西全幅215ハスタ、南北全幅193ハスタ、内回廊東西全幅149ハスタ、南北全幅136ハスタとそれぞれ換算されました。外回廊南北全幅368ハスタは360ハスタという基本計画に8ハスタを加えたものと推定されましたが、これは伽藍基本計画の辺長の合計値を一定にするという面積を保持するような考え方ではなく、またコー・ケー遺跡群プラサート・トムにみられた設計技術における中軸線の変更という意図ではなく、第二回廊の南北幅に加えられた8ハスタの拡大がそのまま反映されたことによって、拡大されたものと考えられます。これは遺跡を構成する三重回廊の構成が、二重回廊の計画のもとに途上で行われた計画変更であった可能性が想起されるものです。また、内回廊東西全幅は150ハスタ、南北全幅は135ハスタという基本計画が推定されます。この基本計画から東西全幅から1ハスタ差し引いて、南北全幅に1ハスタを加えたという操作が想定されました。
ベン・メアレア遺跡群の伽藍配置計画は、大局的に見れば整然とした印象を与えますが、細部を丁寧に見ればわずかな寸法差が観察されることが多く、寸法計画の複雑な計画経緯を物語っています。一連の計画の推定からみられたベン・メアレア遺跡群の特異な基本計画と寸法操作は、当初基本計画が三重回廊ではなかったという劇的な計画変更の要求の可能性を窺わせるものです。対して基本計画としては比較的平易かつ強い前提があった点も観察され、基本計画が優先されたことによって細部の操作を余儀なくされたと考えると、その痕跡が蓄積されたことで複雑な寸法計画を呈したと想定されます。この特異性は従来の遺構の分析研究の成果とは異質な知見をもたらすもので、クメール建築の設計技術史の中でも特殊な位置を占める貴重な存在であることが認められました。
■ 繋ぎ梁構法
クメール建築における意匠、構法上の特色の一つである石造繋ぎ梁が、ベン・メアレア遺跡群では十字回廊、第三回廊、第三回廊と接続するゴープラ、田の字型のパレス風建築、日の字型のパレス風建築に存在しています。既往研究では繋ぎ梁の組積構法に注力され、編年材料とされてきました。建築各部の組積構法と装飾の分類を行い、ベン・メアレア遺跡群の特徴を明らかにしました。ベン・メアレア遺跡群では同一の伽藍構成内建築物において複数の構法を用いており、現状伽藍内での増改築の痕跡が見られないことから、複数の異なった施工グループがそれぞれの異なった技術を用いて造ったと我々は考えています。また、装飾分類においてベン・メアレア遺跡群のみに二つの造形が併存していることが確認され、空間の性質を分けるために2種類の造形を用いていたのではないかということが推測されます。
■ 中央祠堂の復原考察
現在、ベン・メアレア遺跡群の中央祠堂は屋蓋と壁体上部がほぼ全壊してしまっており、構成していた石材が崩壊したまま乱積みになっています。既往の図面にもこの部分は描かれていないために、現地調査で露出している部分を中心に 扉や壁部分を可能な限り実測し、CAD上でそれらを繋ぎ合わせ平面形状の復原を試みました。
■「経蔵」の復原考察
ベン・メアレア遺跡群の「経蔵」はこれまで十分な調査・保存が行われずに崩壊されたままの状態で残されてきました。そこで復元していくにあたり、各遺構に通底する尺度に単位長(412mm前後)を用いて各部の寸法値を見出し、復原を行いました。
■ 付属建物の特徴
クメール寺院を構成する様々な付属建物のうち、参道両脇に位置する用途不明の建物は「宮殿」と呼ばれてきました。他のアンコール遺跡における類似施設との比較を行い、これまで「宮殿」と呼ばれてきた施設の再考察とベン・メアレア遺跡群に存在する付属建物の特徴について考察を行いました。考察の結果、ベン・メアレア遺跡群内の「宮殿」は他の寺院の「宮殿」とは性格が異なることが推測され、対してアンコール・ワット期やバイヨン期に造られた大型の複合寺院内にはある程度類似した施設が配置されていることが明らかになりました。
プレア・ヴィヘア
■ 概要
プレア・ヴィヘアはカンボジアとタイの国境を画するダンレック山脈に位置しており、2008年にはカンボジアで2番目の世界遺産に認定されました。プレア・ヴィヘアとは、クメール語で「神聖な仏教僧院」という意味であり、タイ側ではカオ・プラ・ヴィハンの名で親しまれています。建造時期については、建築史、美術史、碑文研究の成果から300年間の間に何度も増改築が行われていたとされ、おそらくヤショバルマン1世(889-910)の統治下で建造が始まり、スールヤヴァルマン2世(1113-1145)の時代で終わったとされています。全長は約700m、高低差約100mの中6つのゴープラを結ぶ南北の直線を軸にして縦深的に寺院が展開しており、奥の中央祠堂の背後からはアンコール平原を見渡すことが出来ます。
プレア・ヴィヘア遺跡山頂伽藍
プレア・ヴィヘア遺跡 平面と立面
■ プレア・ヴィヘアとその周辺における地理学的調査
プレア・ヴィヘア遺跡及びタイ領を含めたその周辺を対象として、地理学・地形学の立場より遺跡の立地環境を明らかにするために、現地踏査、簡易なハンド・オーガーによる地中探査そして、地形学・空中写真等の資料収集を行いました。
■ 石材の特徴に基づくプレア・ヴィヘア寺院の建造プロセスの推定
プレア・ヴィヘアは過去の研究者によって研究が行われており、これらの研究は建築、美術史学的な視点と碑文に基づくものであります。それに対して、今回は建築学、図像学、及び碑文学的な観点を考慮に入れながら、遺跡に使用されている石材帯磁率などの特徴に基づき建造年代の推定を行いました。
■ 伽藍の計画法
クメール建築の設計技術を解明する研究の一環として、プレア・ヴィヘア遺跡の伽藍規模計画、寸法計画の手順などを復原的に考察し、計画内容の解明を行いました。プレア・ヴィヘアは南北に長大な縦深型伽藍であり、大別して山頂伽藍と伽藍全体の計画をそれぞれ検討しました。山頂伽藍は第一伽藍の東西全幅82ハスタ、第二伽藍の東西全幅88ハスタ、南北全長としては212ハスタと判断され、南北全長と第二伽藍東西全幅の合計値を300ハスタとして、合計値を保持することで近似的に規模を保つ技法が観察されます。基本計画となる東西100ハスタ、南北200ハスタの伽藍では、2つの経蔵を回廊内に収めることができず、結果的に第一伽藍の前面を第二伽藍の回廊とゴープラが取り囲むような形式になったものと想定されます。
伽藍全体では各ゴープラ間から山頂伽藍の背面までが一貫して4ハスタ=1ヴィヤマを基準とした平易な計画性を見て取ることができました。プレア・ヴィヘア寺院は800mを超える伽藍計画ですが、その実測値と直線状の配置を分析すると驚くほどの施工精度を実現していることが理解されます。
■ 付属建物としての「田の字」型・「口の字」型建築形式の復原的研究
プレア・ヴィヘアの特徴の一つに「田の字」型、「口の字」型の平面を持つ建物が併存することが挙げられます。しかしながら、これらの性質や機能の詳細はわかっていませんでした。そこで「田の字」型、「口の字」型建築形式を詳細に分析し、付属建物と呼ばれる建物の意義について考察を行いました。
■ ペディメントの装飾的特質
プレア・ヴィヘアでは、建物によって異なる形式のペディメントが見られます。様々な形式のペディメントが混在するプレア・ヴィヘアはクメール全体の木造屋根を考察していく上で時代的にも地域的にも非常に重要であると考えられます。そのため今回はプレア・ヴィヘア寺院遺跡における木造小屋組痕跡が確認されたペディメントを対象に比較考察を行い、その特徴について考察を行いました。
■ 木造架構痕跡にみる技術的段階と遺構の年代推定
クメール寺院建築は、早くから煉瓦造であった中央祠堂を除き、伽藍内の多くの施設が木造であり、次第に石造に置き換わっていきました。木造から石造へ至る途上の段階では、木造架構と石材とを接続するという技術的に特別な状況が現れます。プレア・ヴィヘアやコー・ケー遺跡群を含めた、同年代の寺院遺跡を対象とした調査研究では、各寺院遺構の石造壁体上面に残存する木造架構痕跡の記録を行い、往時の木造架構技術の復原研究と比較分析によって技法の発達過程を素描、プレア・ヴィヘアの築造年代の類推を行いました。
壁体上部に施設された木造梁と木造軒桁の架構技術は、時代によって多様な変化があることがわかりました。建築構造としての石造と木造の接続方法、垂木の接合方法だけでなく、木造と石造を接続することによって生じた雨水の滞留による腐敗を対策とした架構技術などから木造架構の技術的段階をみることができます。プレア・ヴィヘアの各建物では、木造架構の技術的段階としての相違をみることができました。これは局部的な技法に着目した技法の変遷の中から推定した建立年代の推定と編年ですが、遺構の編年考察に与えられる視点の一つになります。
コンポン・スヴァイのプレア・カーン
■ 概要
コンポン・スヴァイのプレア・カーンは、プレア・ヴィヘア州の南西、アンコールの東約95kmのところに位置する大型複合寺院です。本遺構はアンコールに位置している同名の遺構であるプレア・カーンと区別するため、コンポン・トム州の一都市であるコンポン・スヴァイをとって、コンポン・スヴァイのプレア・カーン、あるいは大プレア・カーンと称されます。寺院内の遺構はおおむねジャヤヴァルマン1世の時代に築造が開始され、ジャヤヴァルマン7世の時代まで増築・拡張が行われたとされています。アンコールから続く王道はベン・メアレア遺跡群を介して本遺構に達することがわかっており、クメール地方統治の観点からみても、周辺の衛星寺院を含め、重要な地方拠点の一つであったことが伺えます。
本遺構は東西軸から約27.4°の角度で北向きに偏向しており、2300haに相当する4.8km四方の土塁と水路が、三重の周壁によって囲まれています。中央に位置する第一伽藍は約44m×40m、第二伽藍は約217m×173m、第三伽藍は約970m×656mほどの規模であり、アンコール地方における複合伽藍と比較しても大規模であるといえます。
コンポン・スヴァイのプレア・カーン中央祠堂
コンポン・スヴァイのプレア・カーン 第二回廊内平面
■ 寺院の精密測量と復原考察を経た図面描画
コンポン・スヴァイのプレア・カーンは伽藍の崩壊が著しく、特に第一伽藍および第二伽藍を主に構成する回廊、ゴープラ、中央祠堂および拝殿、付属建物群等の構造物群で完形に残存しているものはほぼ存在しません。既往研究に残された寺院図面に関しても、それぞれの図面に大小の差があり、全体の様相を把握することは困難です。そこで、本遺構を対象とした精密測量および記録をまず行うこと、また既往図面の収集や痕跡調査、さらには同時期のアンコール地域の遺構調査データとの比較研究から、破損・崩壊部を復元的に考察することによって、往時の計画を想定することを目的としています。
サンボー・プレイ・クック遺跡群の修復保全事業
遺跡群の概要と事業発足の経緯
サンボー・プレイ・クック遺跡群はコンポン・トム州に位置する古代都市遺跡群です。遺跡群は古代名イーシャナプラに比定される真臘国の首都であり、アンコール時代の前身となるプレ・アンコール期の重要遺構であるといえます。この遺跡群は19世紀にフランス極東学院によって確認され、20世紀初頭には繁茂していた樹木の伐採、崩壊の危険が懸念される遺構への仮設的な保存処置が遺跡群の一部で実施されました。しかし、1970年代に入ると内乱により保存活動が中断、組織的な盗掘や遺構の損傷などを要因として遺跡群の荒廃が急速に進むことになりました。
その後、JSA団長中川武を中心とした調査隊が1998年に遺跡群の調査を開始し、2001年にはカンボジア文化芸術省と共同で「サンボー・プレイ・クック遺跡群の修復保全事業(Sambor Prei Kuk Conservation Project)」を発足させ、現在まで20年以上にわたり調査研究および修復事業を展開してきました。
サンボー・プレイ・クック遺跡群 北寺院群中央塔(修復後)
サンボー・プレイ・クック遺跡群 北寺院群配置図
遺跡群の基礎資料の充実化と修復事業
サンボー・プレイ・クック遺跡群の発見当時は、多くの遺構が著しく荒廃した状況にあり、調査は遺構の現状記録・測量・広域調査といった基礎的調査から着手しました。その結果、遺跡群は従来の認識よりもはるかに大規模であり、かつ植生被害や盗掘、人為的な遺構の破壊などによって、極めて危険な状態にあることが明らかになりました。
「サンボー・プレイ・クック遺跡群保全事業」では、基礎的な調査によってその全容が明らかとなりつつあった都城全域に分布する遺構を保護するための「保護ゾーニング法案」に向けたマスタープランをカンボジア政府に提出し、2003年に施行されました。
遺跡群の発見当時は多くの遺構がマウンドに埋没しており、全容が確認できる遺構はほとんど存在しませんでした。そこで、遺跡群の現状記録およびマウンドの除去や繁茂した植物の伐採といったクリアランス事業・考古学調査を行い、遺構・遺物の検出および修復計画を策定、台座や遺構をはじめとした修復計画を実施してきました。特に、遺跡群を構成する寺院群の中でももっとも早期に計画されたとされる北寺院群中央祠堂では日本政府見返り資金などによる資機の協力を受けて精力的に修復工事を行っており、2016年に竣工記念式典を開催、2017年にはカンボジアで第三のユネスコ世界遺産に登録されました。
また、現在コンポン・トム文化局の博物館内にサンボー・プレイ・クック機構の人材育成のためのトレーニングセンターを建設し、北寺院群の修復資機材のための資金供与と同じく、日本政府の見返り資金により筑波大学等との協力のもとに修復事業を実施継続しています。
北寺院群中央塔の修復工事
サンボー・プレイ・クック遺跡群は一辺約2kmの環濠に三辺を囲繞された都市区と、多数の煉瓦造祠堂から成る寺院区に分けられます。寺院区は主として、北寺院群(N Group /Prasat Sambor)、南寺院群(S Group/Prasat Tao)、中央寺院群(C Group/Prasat Yeay Poeun)の三つの遺跡群から構成されており、その中でも北寺院群中央祠堂は遺跡群の中でも唯一四方に開口を有する、もっとも重要度の高い遺構の一つであると考えられます。
本事業では北寺院群中央祠堂の修復計画を主体として進めており、遺構の現状記録および基礎的調査から、修復計画の策定、施工までを行いました。修復工事は2016年に竣工を迎えましたが、周辺の遺構を含めて今後もクリアランス・メンテナンス活動が求められており、中央祠堂のモニタリング調査を継続することによって、中央祠堂の修復成果を一つのモデルとして他遺構においても適用する活動を行っています。
現地学生および職人の人材育成
遺跡群の修復事業を通じて、カンボジア国内に多数散在する大型の煉瓦造遺跡群を将来的に保存・整備するための知識と技術を指導するため、若手の専門家の育成事業を行っています。現場ではOJT(On-the-Job-Training)で常時2~3名を対象とした研修を継続して実施しています。
また、カンボジアのノートン大学(Norton University)やカンボジア王立芸術大学(Royal University of Fine Arts)の建築学・考古学を専攻する大学生を実習生とし、文化遺産調査保全に関する技能研修を行っています。