アンコール遺跡保存国際シンポジウム
一般の参加者を交えて年1回東京で開催されるシンポジウムで、1995年から2003年まで計9回開催されていました。JSA団員により遺跡の修復活動についての総括的な報告がなされたり、アンコールに所縁のある関係者から各々の活動にまつわる報告がなされるなど、各界の専門家を始めとする幅広い層の識者の間でさまざまな意見交換を行い、また交流を深めるよい機会となっていました。
第9回(2003年10月14日)
BAYON~その魅力はどこからくるのか~
アンコール・トムの中心寺院であるバイヨンは、四面仏塔が林立する特異な形式で著名であり、また危機が迫るアンコール遺跡の中でもとりわけ劣化が著しく、JSAが当初から保存修復に力を注いできた遺構のひとつです。バイヨンの前に立つと、まず目に飛び込んでくるのは圧倒的なエネルギーを秘めた岩山のような高塔群と、塔の表面に刻み出された173面もの巨大な尊顔です。これまで尊顔には諸説あり、その謎を解き明かすことがひとつの大きな課題でした。このような美術史的な観点からの調査研究の報告に加えて、各専門分野からバイヨンのさまざまな謎に迫ることにより、「BAYON~その魅力はどこからくるのか~」というテーマのもとで包括的な討論がなされました。また、JSAが策定中のバイヨンマスタープランの中で、何を遺し後世へ伝えるべきなのか、その方向性を巡って議論が展開されました。
シンポジウムの導入として、まずバイヨン寺院のレーザ3D計測機器を用いた調査成果として、3Dのコンピュータグラフィックスが紹介され、視覚的にバイヨン寺院の壮大さ、おもしろさが伝えられました。続く第1部では、2名のカンボジア人によってそれぞれの立場から、バイヨンおよびアンコールの魅力や、JSAとの関わりについての報告があり、アンコール遺跡の価値や魅力について多角的な紹介がなされました。これを受けて第2部では、3つの連続対談が行われました。建築構造学の謎をひも解くテーマとして「奇蹟の構造」、美術史学の観点から尊顔の謎に迫る「尊顔とは何か?」、そしてカンボジアの人々をも惹きつけてやまないバイヨンの魅力については「カンボジア人にとってのバイヨン」。以上3つのテーマから、さまざまな考え方・問題点が紹介・議論され、今後の課題について明らかにされました。全体を通して、JSAの地道な活動を、その研究成果に基づいてわかりやすく紹介できたことにから、高い技術力により国際貢献している日本の姿を再認識してもらえたものと考えています。
第8回(2002年10月12日)
アンコール 過去・現在・未来
アンコールの現在に未知があり、それをもっと深く知りたいと思えば、はるか過去にその発端を探さねばなりません。ひいてはそれが、実り豊かな未来への扉を開くことにもなるはずです。過去から現在、そして未来へと向かう循環的な思考の中から、アンコールと世界との関係はどのようにとらえ直すことができるでしょうか。本シンポジウムでは、アンコールの過去、現在、そして未来にかかわるさまざまな問題が提起され、アンコールに秘められた新たな可能性を掘り起こすという主旨のもとに、幅広い分野からの討論がなされました。
ビデオ「悠久のアンコール~過去・現在・未来~」が上映された後、第1部の基調報告にて、まず中川JSA団長より、プレ・アンコール期の遺跡群を中心として、各遺跡の紹介および今後の整備計画の概要が説明され、また後のアンコール期へのダイナミックな文明の発展を考える上での、幾つかの興味深い視点が提示されました。続いて、アンコール文明を育む礎となった周辺の湖水環境について、そしてアジアという広い枠組みの中でのアンコール美術の見直しについて、またカンボジアのためのニィン・カレット財団による多岐にわたるNGO活動、さらにアンコール地域におけるアプサラ機構による活動の報告がなされました。
第1部の報告を踏まえ、続くパネルディスカッションでは、今後のアンコール遺跡の保護が,カンボジアの若い世代により主体的に取り組まれるべき点などが提言されたほか、今後アプサラ機構の果たすべき重要な役割について、さらに日カの交流を深めていくことの重要性も再確認されました。本シンポジウムは、遺跡本体やその保存修復だけではなく、遺跡周辺で暮らす村民や遺跡を取り巻く自然環境など、広い意味での社会・文化の諸問題に至るまで、多彩な方面でご活躍されている専門家諸氏が、一堂に会し討論を行う画期的な機会となりました。
第7回(2001年10月20日)
アンコール遺跡群保存修復地図
2001年当時のアンコール地域は、8ヶ国10団体の調査・修復チームが活動する国際的な保存修復の場となっていました。こうした状況を踏まえ、各国・各チームそれぞれの具体的な修復活動の紹介と併せて、JSAの活動状況を報告することを主旨として本シンポジウムは開催されました。そのため今回の上映ビデオは、JSAの活動報告のみならず、各国隊の協力を得て各々を取材の上で制作、そして『アンコール遺跡を守る~活躍する世界の修復隊~』と題して上映されました。
基調報告では、他国の修復チームの専門家により、各自の所属する修復チームの活動概要、成果、今後の課題などが報告されました。JSA団員からは、JSAの活動報告、バイヨン・シンポジウム報告およびこの席に参加していないその他諸外国チームの活動紹介が行われました。
これら報告を踏まえ、各国・各チームの修復活動を総合的に見たときに持つ意義、浮上する問題点、今後の展望などを論点としたパネルディスカッションが行われました。各修復チームの保存修復法の独自性と標準化についての議論では、同時期にさまざまな修復方法が試みられていること自体が画期的とも判断できることにより、現時点でのひとつの手法に収束させるべきではないとの指摘がありました。それに対し中川JSA団長からは、各チームが相互に学び切磋琢磨いくうちに相対化されていく面もあり、したがって各チームによる修復法の標準化は急ぐべきではないとの意見が述べられました。そのほか、議論は修復法など専門性の高い技術的な内容から、アンコール遺跡保存修復事業にかかる現代社会の中における「国際協力」の持つ意味の重要性についてまで多岐にわたりました。
第6回(2000年10月21日)
アンコールの謎~我々は何を保存すべきか~
今なお尽きぬことなく存在するアンコールに関わる謎の数々。その謎にこそクメールの伝統的な世界観が、そしてアンコールの魅力が秘められているのではないか。そして修復という作業の中で、安易に謎を消し去ってしまうのではなく、粘り強くその解明を続け、また謎のまま残されたとしても、それをこそ後世に伝えていく意義があるのではないのか。こうした問いかけを端緒に、本年のシンポジウムのテーマが設けられました。
第1部では、ビデオ「アンコールの謎~我々は何を保存すべきか~」が上映された後、ドイツ政府アンコールワット・アプサラ像保存修復チーム(GACP)の団長であるハンス・ライセン氏から、GACPの活動内容の紹介、そしてアプサラ像の保存修復にかかる問題点についての報告が有りました。またJSA団員5名により、修復工事および調査研究成果の報告、さらに各専門分野からみたアンコール遺跡の謎について報告がなされました。
第2部のパネルディスカッションでは、アンコールの謎の問題から次々に議論が展開して、人材養成、カンボジア和平とアンコール、カンボジア人にとってのアンコールの意味、さらにカンボジアに対して日本はどう接していくべきかという問題も提起されました。会場からの質疑応答の際には、在日カンボジア大使みずからご返答される一幕もあり、盛況のうちに閉会となりました。
第5回(1999年11月6日)
アンコールトム・バイヨン北経蔵修復工事報告とその評価をめぐって
本年のシンポジウムのテーマは、JSAによるバイヨン寺院北経蔵の修復工事完了(1999年9月)を節目として、修復工事の過程を総括的に報告し、エバリュエーターとして招聘した各国の識者・専門家からの評価を受けた上で、今後のアンコール遺跡修復の課題について討論するというものでした。
修復工事の経過を記録したビデオ『バイヨン北経蔵・修復なる』の上映に続いて、第1部では、修復工事に携わったJSA団員3名がパネリストとして報告を行ないました。
第2部は、第1部での報告を受けて、エバリュエーター各位により、バプーオン寺院の修復工事の事例が紹介された上で、それぞれの遺跡において解決されるべき技術的な問題は異なるため、状況に応じた対処法を考える必要があるとの意見が提出され、またアンコール遺跡の保存修復事業は、もはや単なる文化遺産の修復の枠を超えて、技術移転を通じた人材育成、観光資源としての開発、そしてカンボジアの国家再建などの面も併せ持つものであり、したがって保存修復事業がもたらす波及効果をより積極的に評価すべきとの意見も寄せられました。
第4回(1998年10月31日)
熱帯アジアの遺跡修復技術とアンコール遺跡
第4回は、アンコール遺跡のみではなく、ベトナムやタイなどを含めた熱帯アジアの遺跡保存の現状を概観し、その上でアンコール遺跡保存修復について考えるというテーマが設けられました。
JSAの活動を紹介するビデオ「クメールの匠たち」が上映された後、パネリストによる基調報告、続いてパネルディスカッションが行われ、ほかの地域で行われている保存修復法のアンコール遺跡への適用の是非に関して、また「あるがまま」の保存の定義の難しさ、さらには保存修復のための法的・社会的整備の必要性の提案など、活発な議論が行われました。
第2部として、ヴァン・モリヴァン氏(当時:アンコール担当国務大臣)による特別講演「バイヨン保存修復5ヶ年計画実施案」が行われ、JSAのみならず、日本国内における協力・支援体制を一本化して、その上で役割分担を行うというAll Japan体制が提案され、また中川団長からは、JSAを始めとする日本の活動が、いずれカンボジア人自らの手に引き継がれることの重要さが語られるなど、熱い対談を最後に閉会となりました。
第3回 (1997年10月26日)
クメール様式の建築と美術~バイヨンの修復と今後の課題~
第3回目のテーマは、「クメール様式の建築と美学~バイヨンの修復と今後の課題~」でした。壮麗で秀美な彫刻美術、洗練された造形感覚を示して余りある多彩な陶器、そして壮大な石造りの建築など。クメール芸術の数々の遺品について、最新の研究の成果や問題点が紹介され、クメールの文化的な特質が論じられると同時に、クメール芸術の中でも特異な魅力を放つバイヨン寺院の今後の保存修復の進め方について、報告と討論がなされました。
まず、保存修復の問題とも絡めつつ、バイヨン寺院を中心としてクメール芸術について紹介されたビデオ『クメールの微笑~クメール様式とバイヨン~』が上映され、続くパネリストによる基調報告では、プレ・アンコール時代の建築も含めて、クメール芸術についての包括的な報告がなされました。
第2部のパネルディスカッションでは、基調報告で説かれたクメール文化の芸術的な価値の高さを十分に認識した上で、現状において非常に危険な状態にあるバイヨンの調査研究をどのように継続すべきか、また日カの協調体制の強化も含めて、今後の保存修復のあるべき姿などの問題について活発な議論が展開されました。
第2回(1996年10月16日)
アンコール遺跡修復とカンボジアへの文化協力
第1回シンポジウムの討論を通じて、日カの文化交流をさらに深めていく必要性が提示され、その一方で一般の方々に対するJSAプロジェクトの継続的な周知が望まれることにより、前年に引き続き、第2回目となるシンポジウムが開催されました。この年は,国際交流基金アジアセンター、奈良文化財研究所、上智大学アンコール遺跡国際調査団、そしてJSAの4団体が主催する形で、非常に規模の大きなシンポジウムとなって盛況を得ました。これまでに各団体が実施してきたアンコール遺跡の保存修復事業を総括して、専門家間での情報の共有化を図り、あらためて遺跡保存に対する我が国としての役割を、そして将来への展望を模索することにより、アンコール遺跡に対する一般の方々の理解を深めてもらうのみならず、より積極的な支援を得ることを目的として、貴重な報告および討論がなされました。
内戦終結後の国づくりを進めるカンボジアにとって、クメール文化の価値を再認識することは、カンボジア人のアイデンティティを確立する上でも大きな意味を持つとして、元文化大臣のチェン・ポン氏により、日本のカンボジアに対する文化協力における課題と可能性について特別講演が行われました。続いて、アンコール遺跡の現状と、日本を含む諸外国修復チームの活動を紹介するビデオ「カンボジアの華~アンコールへの旅~」が上映されました。
その後、4つのセッション(パネルディスカッション)が設けられ、アンコールに関わるさまざまな分野の専門家が各セッションに約5名ずつ、トータルでは20人程度にもおよび、「アンコール保存・修復をめぐる成果と展望」、「アンコール地域の文化遺産と自然環境」、「考古学から見たアンコール遺跡」、「アンコールへの夢とカンボジアの文化復興」というテーマのもとに、白熱した議論がなされました。
第1回(1995年10月15日)
アンコール遺跡をどのように修復するか
1994年11月のJSA結成からおよそ一年後、初めてのJSA主催による国内シンポジウムが、「日本国政府アンコール遺跡救済チーム報告」と題して開催されました。活動を開始して間もないJSAによる遺跡修復事業の意義やプロジェクトの概要の紹介。そして今後の展望と課題、さらに文化史的な位置付けにまで触れつつ、JSAの活動を周知し、またアンコール遺跡の魅力に対する理解や興味を深めてもらうという主旨のもとに、報告および討論がなされました。
中川武JSA団長の基調講演により開会し、引き続きパネルディスカッションが行われました。パネリストの顔ぶれは実に多彩で、遺跡修復に携わる専門家以外にも、カンボジア内戦の戦塵がくするぶる中、現地の女性や子供たちをファインダー越しに見つめてきた写真家、アンコール遺跡救済委員会などを通じて文化遺産保護に尽力してきた関係者、そして日本で教鞭をとるカンボジア人など。それぞれの立場から、アンコールに対する熱い想いと、JSAに対する大きな期待の言葉が寄せられました。またパネリスト各位に加えて、JSAからは各分野の専門家がコメンテーターとして参加し、より詳細なJSAの活動内容が紹介されました。